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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)6265号 判決

原告 坪井キヨ 外二名

被告 平安交通株式会社 外一名

主文

1  被告らは、各自、原告坪井キヨに対し金一、六〇〇、六三七円、原告坪井恵子、同坪井修一に対し各金一、二一六、六六七円および右各金員に対する昭和三六年一〇月三一日以降右完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを十六分し、その十三を被告らの連帯負担とし、その余を原告らの平等負担とする。

4  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「1被告らは、各自、原告坪井キヨに対し金一、八一一、三九二円、原告坪井恵子、同坪井修一に対し各金一、四八九、八五五円および右各金員に対する昭和三六年一〇月三一日以降右完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。 2訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、昭和三六年八月二四日午後八時一五分頃東京都世田谷区経堂町九〇九番地先交差点において、訴外坪井信治の運転する軽自動二輪車(以下「原告車」という。)と、被告巴寛一の運転する営業用普通自動車(以下「被告車」という。)とが接触し、よつて同訴外人は、重傷を負い、同年一〇月三〇日午前七時五分死亡した。

二、右事故は、被告巴寛一の過失に基づいて発生した。すなわち、事故の現場は、幅員三・八米の東西に走る、一方通行のアスフアルト舗装道路と幅員六米の南北に走るアスフアルト舗装道路とが交差する交差点で、南方の農大方面からこの交差点に入る場合には、その西側に東京都公安委員会の設置した「左折禁止」および「一時停止」の道路標識があり、従つて、南方からこの交差点に入る車輛は、この交差点の手前で必ず一時停止し、他の道路から進行して来る車輛の有無を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、被告巴は、右注意義務を怠り、「一時停止」の道路標識の存在を看過し、一時停止をすることなく、漫然被告車を交差点内に進入せしめたため、折から西方よりこの交差点に進入して来た原告車に被告車を接触せしめ、もつて右事故を惹起したのである。

三、被告らは、各自原告らに対し、後記損害を賠償すべき義務がある。すなわち、

1  被告巴は、直接の不法行為者として、民法の規定に従い損害賠償の義務がある。

2  被告車平安交通株式会社は、被告巴の使用者で、本件事故は、被告巴が被告会社のため、被告会社所有の被告車を運行していた時に生じたものであるから、被告会社は、自動車損害賠償保障法第三条本文の規定により、被告巴とともに損害賠償の義務がある。

四、訴外坪井信治および原告らの受けた損害は、次のとおりである。

1  訴外信治の得べかりし利益の喪失による損害金三、五六九、五六五円。すなわち、同訴外人は、本件事故当時満四五才の健康な男子であつて、厚生省大臣官房統計調査部刊行の昭和三五年度簡易生命表によれば、右年令の男子の平均余命は、二六・六四年であるから、同訴外人が本件事故に遭遇しなければ、将来なお右平均余命の間生存し、就労可能であつた筈である。ところで、同訴外人は、本件事故当時、実兄石垣節治、同坪井惣吉らとともに設立した八重洲商事株式会社の取締役として、不動産業を経営し、一ヶ月平均五八、四三二円の収入を得ていた。しかして、最近の物価高、いわゆる所得倍増の気運を考慮すると、当然賃金の上昇が期待されるところであるので、生存期間二六年間の平均月収を金六〇、〇〇〇円としても決して、不当な収入額とは、いいえない。故にこれから生活費等を控除し、最少限一ヶ月金三〇、〇〇〇円の純収入を得ることができた筈である。そこで、年間純収入金三六〇、〇〇〇円の割合による二六年間の所得金九、三六〇、〇〇〇円よりホフマン式計算法(単式)によつて年五分の割合による中間利息を控除すると、その総額は、金四、〇六九、五六五円となるが、右の中、すでに受領した自動車損害賠償責任保険金五〇〇、〇〇〇円を控除すれば、その残金三、五六九、五六五円が、同訴外人の本件事故によつて喪失した得べかりし利益である。

2  原告キヨは、訴外信治の妻、原告恵子および同修一は、その長女および長男として、右1の損害賠償債権の中、各三分の一の金一、一八九、八五五円を相続により取得した。

3  原告キヨが蒙つた財産的損害金一二一、五三七円。すなわち、原告キヨは、本件事故によつて訴外信治のため、治療費、葬儀費その他の雑費として合計金一二一、五三七円を支出し、同額の損害を受けた。

4  原告キヨの精神的苦痛に対する慰藉料金五〇〇、〇〇〇円。すなわち、原告キヨは、本件事故当時満四一才で一家の大黒柱たる夫を喪い、満一四才の長女と満一一才の長男を残され、全く途方に暮れてしまつた。将来の生活の不安や子供らの養育のことを考えると、その精神的苦痛は、筆舌に尽し難い。

右の苦痛を慰藉するには、金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当であるが、本訴においては金五〇〇、〇〇〇円を請求する。

5  原告恵子、同修一の精神的苦痛に対する慰藉料各金三〇〇、〇〇〇円。すなわち、原告らは、一家の支柱たる父親を失い、筆舌に尽し難い打撃を受けた。

右苦痛を金銭をもつて償うとすれば、各金五〇〇、〇〇〇円が相当であるが、本訴においては、各金三〇〇、〇〇〇円を請求する。

五、そこで、原告キヨは前項2、3、4の合計金一、八一一、三九二円の、原告恵子、同修一は、それぞれ前項2、5の合計金一、四八九、八五五円の損害賠償債権を取得したので、被告らに対し、右各金員およびこれに対する信治死亡の日の翌日たる昭和三六年一〇月三一日以降完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、と述べ、被告らの抗弁事実は、否認すると陳述した。(立証省略)

被告ら訴訟代理人は、「1原告らの請求を棄却する。2訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因第一項記載の事実中、原告の主張する日時、場所で、その主張のような事故が発生したことおよび訴外坪井信治が原告主張の日時に死亡したことは認めるが、右事故と訴外坪井信治の死亡との因果関係は、否認する。すなわち、同訴外人が本件事故によつて負傷するや、警察官立会の上で世田谷区世田谷三丁目二五七九番地菊地病院において同訴外人にレントゲン診察を受けさせたところ、頭部および内臓に何らの異常なく、ただ単に右肘関節挫創、鼻部切創、左前膊肘関節擦過傷、右肩胛部打撲症、頸背部打撲傷の外部的軽症で二週間位の安静治療を要するとのことであつた。そして、同訴外人は、同年九月二一日まで右菊地病院に通院して加療を受け、その結果全治したのであつて、その間、ラビツトに乗り廻り、その営業である不動産仲介業に従事していたのである。従つて、同訴外人が順天堂病院において、頭部打撲による外傷性硬膜下出血を原因に死亡したとしても、右硬膜下出血が本件事故に基づいて生じたものとは考えられない。

二、請求原因第二項記載の事実中、被告巴が一時停止を怠つたとの点を除き、その余を認める。本件事故は、被告巴の過失に基因するものではない。すなわち、事故の現場は、見道しのきかない交差点で、被告巴は、時速約三〇粁の速度で前方を注視して交差点内に進入したのであるが、左方から進入して来る車輛を発見することができず、交差点内に進行して初めて同訴外人が原告車を運転し、全速力で進行して来るのを認めたのである。その結果、原告車が被告車の前部に接触したのであつて本件事故は、同訴外人が見通しのきかない交差点に進入する場合の徐行義務に違反したことに基因するものである。

(道路交通法第四二条参照)。

三、請求原因第三項記載の事実中、被告会社が被告巴の使用者で、本件事故は、被告巴が被告会社のため、被告会社所有の被告車を運行していた時に生じたものであることを認め、その余を争う。

四、請求原因第四項記載の事実は不知。

と述べ、抗弁として、

(一)  仮りに原告主張のとおり損害を生じたとしても、それは前叙のとおり訴外坪井信治の過失も事故の一因となつているのであるから、損害額の算定にあたつては、この事情も斟酌されるべきである。

(二)  被告らは、昭和三六年八月二四日訴外坪井信治との間において本件事故により、同訴外人が受けた損害中、原告車の修繕費および菊地病院の治療費合計金四一、四二〇円を支払い、原告は、その余の損害賠償請求権を放棄する旨の和解契約を締結し、被告らは、同訴外人に対し、右金員をすでに支払つたから、原告らの本訴請求は、理由がないと述べた。(立証省略)

理由

一、請求原因第一項記載の事実中、本件事故と訴外坪井信治の死亡との間の因果関係を除き、その余の事実は、当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第一号証、同第八号証、同第九号証の一および二、同第一一号証、乙第一号証および同第二号証と証人菊地貞徳、同菊地一男、同木原一雄、同石垣節治の各証言を綜合すれば、訴外坪井信治は、事故直後、被告巴とともに訴外菊地一男医院を訪れて診察を受けたが、右菊地医師は、同訴外人の頭部には何らの異常も認められないとして、単に右肘関節挫創、鼻部切創、左前膊肘関節擦過傷、右肩胛部打撲症、頸背部打撲症等の外部的傷害についてのみ治療をしたこと、ところが、右外部的傷害の完治した後である同年一〇月八日頃同訴外人は、頭痛を訴え、食物を吐いたり、生あくびを連発するなど、容態に異常を呈するに至つたので、経堂診療所医師の紹介で同年一〇月一六日順天堂病院に入院し、精密検査を受けたところ、頭部に右硬膜下血腫を生じていることが判明し、その手術を受けたが、その効なく、これが原因で同年一〇月三〇日死亡したこと、右硬膜下血腫は頭部の打撲を原因として生じ、これに急性と慢性の二種があるが、同訴外人の場合は、たまたま慢性であつたため、特殊検査を行わないかぎり、事故直後の臨床的診察ではその発見が不可能であり、従つて、事故後同訴外人の治療に当つた右菊地医師も頭部の異常を発見しえなかつたこと、しかして、右硬膜下血腫の発生原因となつた頭部打撲は、本件事故以外に考えられないことが認められ、これに反対の証拠はない。してみると、同訴外人が死亡したのは、本件事故がその原因をなしているものということができる。

二、請求原因第二項記載の事実は、成立に争いのない甲第七号証、同第一〇号証の一および二、同第一二号証および同第一三号証と証人宮原貫の証言によつて認めることができ、これに反対の証拠はない。

被告らは、本件事故の発生は、訴外坪井信治の過失もその一因をなしている旨主張するので考えるに、成立に争いのない甲第七号証によれば、被告巴は、事故の現場である交差点に進入する際、東京都公安委員会設置の「左折禁止」の道路標識の存在に気が付いたが、「一時停止」の道路標識があるのを看過し、被告車の乗客に道を尋ねながら、減速することなく、交差点内に進入したところ、折から他の道路の右側を時速約三十粁の速度で西方から東方に向い交差点内に進入して来た原告車を発見し、急遽ハンドルを右に切り、衝突を避けんとしたが及ばず、遂に被告車の左前部バンバーを原告車の右側中央部に接触せしめたことが認められ、これに反対の証拠はない。

してみると、本件事故の発生は、主として被告巴の過失に基因するものと認められるが、なお訴外坪井信治が、法規に違反して道路の右側を徐行することなく進行していた過失もその一因をなしているものと考えられる。

けだし、もし原告車が道路の左側を徐行して進行していたとすれば、或いは本件事故の発生を未然に防止することができたかもわからず、少くとも事故を最小限に喰いとめることができた筈である。従つて、このことを考慮に入れると、訴外信治の過失も事故発生の一因をなしているものと認めるのが相当である。

三、そこで、(一)被告巴は、直接の不法行為者として民法の規定により、また(二)被告会社は当事者間に争のないとおり被告巴の使用者であつて、本件事故は、被告巴が被告会社のため同会社所有の被告車を運転していた時に生じたものであるから、自動車損害賠償保障法第三条本文の規定により、各自原告らに対し後記損害を賠償すべき義務がある。

もつとも、被告らは、抗弁として訴外信治と被告らとの間に本件事故につき和解契約が成立している旨主張しているけれども、これを肯認するに足る証拠はない。

四、そこで、損害の点について判断する。

(訴外信治の得べかりし利益の喪失による損害)

1  成立に争いのない甲第二号証、同第五号証と証人石垣節治の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第三号証および証人石垣節治の証言、原告坪井キヨ本人尋問の結果を綜合すれば、訴外信治は、本件事故当時満四五才(大正五年三月三〇日生)の健康な男子で、実兄石垣節治、同坪井惣吉らとともに設立した訴外八重洲商事株式会社の取締役を勤め、土地建物の売買およびその仲介等の業務を含み、一ヶ月金五〇、〇〇〇円をこえる収入を得、そこから生活費を控除したとしても、一ヶ月金三〇、〇〇〇円の純所得があつたことが認められ、反対の証拠はない。しかして、厚生大臣官房統計調査部刊行の第一〇回生命表によれば、右年令の男子の平均余命は、二五、五二年であるから、本件事故によつて生命を喪失しなければ、訴外信治のような、同族会社の取締役として働いていた者は、右平均余命の間なお生存して稼働しえた筈である。従つて、年間純所得金三六〇、〇〇〇円の割合による二五年間の所得金九、〇〇〇、〇〇〇円からホフマン式計算法(単式)によつて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すれば、その総額は、金四、〇〇〇、〇〇〇円となる。ところで、原告らは、本件事故について自動車損害賠償責任保険金五〇〇、〇〇〇円を受領した旨自陳しているから、これを右総額より控除すれば、その残金は、金三、五〇〇、〇〇〇円となるが、前叙のとおり本件事故の発生は、同訴外人の過失もその一因をなしているので、これを考慮すれば、同訴外人の本件事故によつて得べかりし利益を喪失したことによる損害は、金二、四五〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

2  成立に争いのない甲第五号証によれば、原告坪井キヨは、訴外信治の妻、原告坪井恵子は、同訴外人の長女、原告坪井修一は、同訴外人の長男であるから、原告らは、いずれも同訴外人の相続人として、右1の損害賠償債権を各三分の一の相続分に応じて、相続したものということができる。従つて、原告らはそれぞれ金八一六、六六七円の損害賠償債権を取得したものと認められる。

(原告キヨが蒙つた財産的損害)

3 証人石垣節治の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第四号証の一乃至一八によれば、原告キヨは、訴外信治の治療費金五三、三五七円、付添看護料金一二、〇〇〇円、葬儀費用金五四、三〇〇円、死体検案手数料金三〇〇円、以上合計金一一九、九五七円の支出をしたことが認められるところ、本件事故の発生は、訴外信治の過失もその一因をなしていることは、前段のとおりであるから、これを斟酌すれば、原告キヨの蒙つた財産的損害は、金八三、九七〇円と認めるのが相当である。

4 原告坪井キヨ本人尋問の結果によれば、原告キヨは、昭和二一年四月三日訴外信治と結婚し、その間に長女恵子、長男修一をもうけ、幸福な生活な生活を営んでいたところ、本件事故によつて、最愛の夫であり、また一家の経済的支柱である信治を奪われ、悲嘆のどん底におちいり、日々の生活にも不安を覚えるようになつて、子供らの養育と一家の生活維持のため、電気工場に勤務するようになり、一ヶ月金九、〇〇〇円乃至一〇、〇〇〇円の収入を得ていることが認められるが、前段のとおり本件事故の発生は、訴外信治の過失もその一因をなしているから、これら諸般の事情を斟酌すれば、原告キヨの右精神的苦痛を慰藉するには金七〇〇、〇〇〇円が相当であると認める。

5 原告恵子、同修一は、訴外信治の長女、長男として、最愛の父を失い、その苦痛は想像に余りがあるが、同訴外人の前記過失を斟酌して、原告らの苦痛を慰藉するための慰藉料は、金四〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

五、そこで、原告キヨは、前項2、3、4の合計金一、六〇〇、六七三円、原告恵子、同修一は、それぞれ前項2、5の合計金一、二一六、六六七円の損害賠償債権を取得したので、原告キヨの請求は、右認定の金一、六〇〇、六三七円、原告恵子および同修一の各請求は、右認定の金一、二一六、六六七円と、右各金員に対する履行期たる本件不法行為後である昭和三六年一〇月三一日以降完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるとして認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用について、民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書の規定を、仮執行の宣言について同第一九六条第一項の規定を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川善吉 吉野衛 茅沼英一)

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